少年の頃の痛い思い出

もうかれこれ半世紀前の話

50年前の話をできる年齢になってしまったのですね私

時が経つのは早いものです

大人になるほど加速してゆき 50を過ぎたころには

とんでもないスピードで時間が過ぎてゆきます

60になる頃にはどうなることかと(笑)

 

それは私がまだ少年だったころの話

たしか小3だったと思います

私のオジサンは短気で喧嘩早く 数々の武勇伝を持っている

少し名の通ったお方でした

その向こう意気の強さからか はたまたこれ以上武勇伝を重ねると

お縄になるかもしれないと高を括ったのかわからないですが

闘犬の世界に没頭していたんですね

代理戦争ですね(笑)

オジサンは数匹の猛者たち(土佐犬)を連れて西日本の大会に繰り出しました

特に本場の高知県の土佐が多かった様に思います

父親に馴染めぬ私をオジサンはたいそう可愛がってくれまして

闘犬の大会には頻繁に連れて行ってもらいました

四国に連れて行ってもらった事は1度や2度ではありません

当時は明石海峡大橋も瀬戸大橋もなく大阪南港からフェリーに揺られて

四国まで行くしか方法がありませんでした

そんな何度目かの四国高知での闘犬大会の日

ホテルの広い庭で六角形の闘技場を設営し

荒くれ者たちが声を張り上げ手塩に掛けた 闘犬たちに檄を飛ばしています

少年の私は見慣れた風景に特に驚くでもなく

いとこの子供たちと会場の芝生の上を走り回っていました

その時おじさんのお嫁様 おばさんですね

「ホテルを出てその角を曲がったところに牛乳の自動販売機があるから買ってきてくれない」

と 当時流行った三角の紙でできたパックに入った牛乳です

ストローを差し込んで飲むやつです

「は~い」小銭をポケットに突っ込み 少年の私はルンルン気分で自動販売機を

目指しました 「あんたのも買っていいのよ」

よーし僕のはコーヒー牛乳にしよう

あの角を曲がったところに自動販売機があるはずだ

しかし角を曲がっても自動販売機がありません

あれ次の角を曲がるのかな?

少年の私は自動販売機にたどり着けずに何度も角を曲がりました

おばさんは角をひとつだけ曲がればいいと言ったのに・・・

かなりの時間歩いたと思います

車の少ない通りから いつの間にか車が多く道行く人も多い通りに出ていました

もう自動販売機どころではありません ホテルに戻ろうとするのですが

異国の地に放り出された8歳の少年にはなす術もありませんでした

山に囲まれた田舎育ちの少年から見れば 地方都市の高知は大都会です

車も多く 人も多い 高度成長期のころです

地方都市とはいえ活気があったに違いありません

その勢いに私は心細さを覚え もう帰れないのではないかと不安に襲われ

涙がとめどなくあふれてくるのでした

その様子を見て声をかけてくれる人がいます

けれど人見知りな私はそんな善意の人たちを無視し避けながら

歩き出すのでした

どこからか音楽が聞こえてきます

♬「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た よさこいヨサコイ」

気が付くと赤い橋のたもとにいました

はりまや橋と書いてあります

聞いたことのある名前だな ぼんやりそんなことを考えていました

橋を見ますが 涙で霞んでぼやけています

あ~僕はもうこんな遠くの知らないところで迷子になってしまったんだ

心細さで胸が張り裂けそうでした 心臓が早鐘を打っています

一旦止まった涙が堰を切ったように溢れてきます

その時でした お兄さんだか お姉さんだか

おじさんだか おばさんだか 忘れてしまったけれども

「あそこに交通整理をしているお巡りさんがいるからそこまで行こう」

と半ば強引に僕の手を引きお巡りさんのところへ連れて行ってくれたのでした

近くにあった警察署に連れていかれた私に お巡りさんはこう聞きました

「君はどこから来たの?」

僕は答えました「土佐犬の喧嘩をしている四国で一番大きなホテル」

パトカーに乗せられて僕はその四国1大きなホテルに戻ることができました

パトカーに乗せられた私を見て オジサンたちは何事もなかったかの様に

「おまえどこ行ってたん」と大笑いしているのでした

その顔を見て 心から安心し安堵の笑顔を見せる在りし日の少年の僕なのでした

「おばさん 牛乳買えんかった」

その言葉に先ほどの何倍もの笑い声が響くのでした

 

少年の頃の在りし日の思い出です

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